「黒い津波」の後の、黒い内面のヴィジョンと声

前回(以下リンク)からの続きです。

その日も、TVで、東北がどうなっているのか。見ていました。
3.11の地震の後、TVは、何度も何度も、本当に何度も繰り返し、東北の街を飲み込んでいく『真っ黒い津波』の映像を流し続けていました。
最初は、ただ驚いて見ているだけでした。
『真っ黒い』津波が、家や車を飲み込んで、海岸線から内陸に向かい、本来行ってはいけない場所に『越境するように』、どんどん遡っていくのを見ていました。ただただ、驚きながら。言葉を失って。
何度、その『真っ黒い津波』を見た後だったでしょうか?
もう記憶にはありません。毎日毎日、朝から晩まで、TVが、東北の街を『真っ黒い津波』が飲み込んでいく様を映し出していました。
突如。
そう、いつもこういうものは、地震のように『突然』やってきます。
『私の中で』『何か』が、ガラリと崩れ落ち、画面で見ている真っ黒い津波にさらわれるように、すべて流れ去っていきました。
今まで、元気だったのに、ある瞬間以降、すべてが崩れ去って何も残っていない。そんな感覚。
その後、長い間、私は内面で大きな苦しみを味わいました。
もう、「ほとんどすべて立て直した」と思っていた、「もう、過去としてすべて忘れかけていた、あらゆる苦しみ」が、突然、まるで「今ここで経験しているように」感じ取られ始めたのです。
何をしていても、TVを見ても新聞を読んでも、「あらゆる過去に経験した苦しみが蘇って」、涙が出て震えるほど苦しいのです。
もう、それは、完全に癒やされたはずだったのに…。もう、それは終わったと思っていたのに…。それはもう完全に忘れていたのに…。という思いと感覚が、次から次へと心と頭に浮かんで、苦しさと悔しさと悲しみで、身動きが取れなくなっていました。
そんなことをまったく知らない家族の、ごく普段の語りかけに、イライラして怒り出しそうになるのを懸命にこらえていました。
しかし。
これよりももっと酷かったのが、「黒いヴィジョンと声」です。
過去の苦しさが蘇ると同時に、どこか「別の空間」で、見えて、聞こえるものがありました。
そのヴィジョンと声を書きます。
そこは、私の内的空間です。
私の内面には、大きな石をたくさん積み上げた、堅固な城のような大きな建物がありました。
生まれてから、この2011年まで、毎日努力を重ね、一つ一つ積み上げて築いた、大きくて立派な城。他の人たちが見ても「なんて素晴らしい城だ!」と驚嘆するだろう、堅固で大きな石造りの城。
けれど、実際は、基礎に脆い場所がありました。
基礎部分に、石が積み上げられていない空白の部分があった。
でも、それを気にしていると城を築けなくなるので、私はそこを無視した。無視して、毎日大きな努力をし、一つ一つ巨大な石を積み上げて大きな城を造った。
けれど、その基礎の脆さが仇になり、地震と津波で、すべてが壊れ、流されてしまった。
もう、今そこには、何も残っていない。
後に残ったのは、真っ黒な世界。
『真っ黒な津波』と同じように、真っ黒な内面世界。
その「真っ黒な内面世界」の、私が、崩れ去った城を茫然と見つめて立っている場所から少し離れたところに、「真っ黒い穴」があり、そこから「声」が聞こえる。
「ケケケケッッッ。今度こそ、本当にお・し・ま・い。これで完全に終わり!諦めな!」
という、非常に「下卑た」黒い男の声。
さらに、足元の地面は、全体が黒い布で覆われて、私の立っている部分が、少しずつ、「黒い穴」の方に引きずり込まれている。1ミリか2ミリずつ。ずる、ずる。。と。
私は、とても大きな恐怖を覚えました。
「下卑た黒い男の声が聞こえる」「あの黒い穴」に引き摺り込まれては、絶対にいけない。
引き摺り込まれたら、それが「最後」。
強くこう感じ、全体重をかけ、黒い布が黒い穴に向かって引き摺り込まれないように、懸命に耐えていました。
この「真っ黒い世界のヴィジョン」と、「真っ黒い男の声」が、昼も夜も見えて聞こえていました。現実とは別の「どこかの空間」で。
過去の苦しさがフラッシュバックして涙が出て震える上に、黒い世界のヴィジョンと声に1日中苛まれる。
黒い下卑た声が言う通り、「これまでいろんなことを、何度も耐えて、踏ん張ってきたけれど、今回こそ、本当にもう終わりかもしれない…。」
そんな思いが、心と頭の中をよぎり始めていました。
3月8日に八坂神社で聞こえた声が言うように(八坂神社の声は、厳かで威厳のあるものでした。まったく黒くない。対照的なくらい。)、本当に「大変なことになって」きたのでした。
私の健康だけでなく、日本までもが。
世界も、原発事故で大変なことが起こったと思ったでしょう。
以下リンクに続きます。

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