大河ドラマ考〜先人たちを偲ぶ

大河ドラマって、私、過去の日本人たちの「供養」をしてるかな?とよく思ったりします。
以前は、ドラマの舞台に戦国時代が本当に多くて、やはり戦国の世は、殺し殺され、兵士だけでなく、国民も死に、国も荒れ。。という時代。悲惨な戦争の時代は、何度も何度も取り上げて思い起こすことが必要で、それが供養になっているのかも…。
と思ったりするのです。
浮かばれず、苦しんだまま古戦場に漂っている霊がいるとかいないとかいう人もいますし。
大河ドラマで扱われると、多くの人が関心を持ち、ドラマの舞台の現場に足を運んだり、博物館や美術館がテーマ展を開催したり、歴史を勉強したり、関係者の墓に詣でたり、「知ること」「思い起こすこと」「現場に足を運ぶこと」で、供養してるのかも……。日本の祖先たちを。
と思ったりしています。
NHKによる国民的先祖供養番組。なんて(笑)。
ひょっとしたら、大河ドラマを見ている人自体、今は、そんなにいないのかもしれませんが。
でも昨年の大河「光る君へ」。京都が舞台でした。紫式部邸跡と言われる廬山寺。私が時々訪れていた時は、とてもひっそりしていたのですが、昨年行ってみると、たくさんの車が止まって多くの観光客で賑わっていました。
大河の効果は大きいようです。
今年2025年の大河ドラマは、蔦屋重三郎のドラマです。舞台は、なんと吉原。

NHKとしては、かなり思い切った舞台設定のような気がしましたが、「現代の世相」を考えると、吉原を取り上げることが、とても必要だったのかもしれません。NHKの高いアンテナが、時代の要請をキャッチしたのかもしれない。と思っているところです。
#Me too の現代だからこそ、描ける供養できるもの。
まだ始まって2ヶ月ばかりですが、このドラマを見ていて、『今の東京の成り立ち』が、とてもよくわかるような気がしています。
現在の東京は、江戸から続いている街。約400年前に、徳川家康が作った街。最初、家康が派遣された時は、何もない本当に田舎で、そこを家康が開拓し、都市計画で巨大な江戸を作り上げた。と、以前TV番組で見ました。その後目覚ましく繁栄し、明治以降首都になった。
都市計画については、よくわかりませんが、「世の中の仕組み」というようなものには、江戸と東京のつながりがとてもよくわかるような気がします。
武家社会で強いものには絶対逆らえない社会。
江戸城には「大奥」があり、市中には「吉原」がある。
城にも市中にも、男たちの権力闘争が渦巻いて、もうすでに戦は無くなって平和な世の中だけれども、その分、身分の上下がしっかり固定されて、上には絶対に逆らえない社会の仕組み。強い男たちが権力を持ち、女たちは影に隠れ、世継ぎを産むためや欲望のために使われる。
この江戸の意識や仕組みが、丁髷と着物・裃などの衣装を変えて、まだ『現代の東京という街』に根強く残っている… と強く感じているところです。私がここ数年関わってきた関係者の意識や社会の仕組み、と重なるところが、とてもたくさんあるように感じています。
さて、まだまだ始まったばかりで先は長いですが、これから、大河ドラマ「べらぼう」どうなっていくのでしょうか?
『現代のきらびやかな東京』に重なるように、別の時空に存在する、女たちの苦しみや怨念、男たちの諍いの念。多くの人たちが「知り」「思い起こし」「供養する」ことで、成仏するといいなと思います。
NHKだから『相当上品』に描いていますが、結構な描写もありましたよねぇ。。
真剣に、江戸時代の仕組みや想念が、現代の東京にオーバーラップ(ではなくアンダーラップ?)して、今の東京があるような気がしています。首都だから、全国に影響しますしね。
先人たちがあって、今の私たちがいることを、忘れないでいたいものです。
若い頃、先祖供養を進める親に向かって、「先祖なんか、私とまったく関係ない。私は私!!放っておいて!」と言い放った私が、還暦前になって「先人たちの供養」なんてことを言い始めるなんて(笑)。
なんだか妙な気がします。
すべてが一つに溶けて癒される、太陽@魚座だから、余計いろんなことを感じるのかも。しれません。
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