昨日は全く見もしなかったですが、朝日新聞。
今日の天声人語。
普通に「ふ〜ん。なるほど。。」と思って読んでいたのですが、『最後』で、『また出た。朝日のちょ〜悪い癖』と思いました(笑)。
『〜〜にならないでほしい』という風に終わっていましたが、これ、完全に『〜〜になりたくない』の間違いだと思います。
この場合、『〜〜になりたくない』と書くのが、ごく自然な流れ。だと感じましたが。
いつもの『他人事にする』朝日の悪い癖(笑)。
「自分の感じている危機感」を「他の事例に当てはめて書いて」いる(と私は思いました)のに、最後まで『他人事』なの。
この方の意識、非常にわかりやすい。裏が読みやすいです(笑)。いつも同じ方だと思いますが。この『パターン』
光を自分ものにし、闇を世界と他者に押し付ける、いつものカルト朝日のやり方。
元論説主幹に引き上げられた方じゃないですか?今日の筆者。
この方、いつもこういう感じなの。
元論説主幹と同じで、パターンがあって、読んだらすぐわかるし、『分裂』していて、自分と世界が一つになっていないというか、自分を客観的に見ることができないというか。そんな感じ。
成績とか学歴とか社歴はとても優秀なので、ご自分でも優秀と思っているし、周囲もそう思っているんだろうけれど、めちゃくちゃおかしなところがある。というのは、元論説主幹と同じだと思います。
『貧困ビジネス』朝日も、こう。
世界を光と闇にわけで、自分たちが光だと考えて、他者や社会の闇を、高みから楽しそうに見物する。
だと思いますけれど。お気づきになりません?まだ???
鷲田先生は、最近はもう、京都人伝統の bulle の中に完全におは入りになったというか、『象牙の塔に完全に篭られた』というか、朝日新聞と社会との接点を断ち切って、ご自分の世界に入っていられるように感じます。
これが、鷲田先生の、『元々のお姿』ではないかと拝察いたしますので、『ご自分のありのままの姿』にお戻りになった。ということで、よろしいのではないかと思います。
私は嫌いですけど。全く好みではない。
でも、
からすると、これが大変よろしいのではないでしょうか?と思います。
ぱらっとめくって様子を見ただけで、読んでないですが、全体として『理屈』。朝日。と感じました。
生ぬるいおとぼけは抜けていますが、おとぼけが抜けると『理論で詰めるばかり』になる。と思います。
今朝のテレ朝の男性コメンテーターも、『理論で詰めまくって』いましたが、これは、田原総一朗さんもそうでしたし、
だと思います。
「民主主義はもう終わった!」と主張されていた、佐伯啓思先生に反論した際、大島渚監督の映画『戦場のメリークリスマス』を引用しました。
坂本龍一さんが演じられた旧日本軍の将校。真剣の日本刀を振り回して、とても厳しい感じの方。
朝日、ってこのイメージ。
本物の刀(剣、つまり、思想、言葉)をキレキレに振り翳して、相手を斬り殺しかねない。でもそれは、『自分の弱さ』を隠して、負けないようにするための武器でもある。
その『弱さ』とは何か?
イギリス軍将校を演じたデビッド・ボウイが象徴するもの。
ボウイが坂本に行った『ビズ』(頬と頬を合わせる挨拶)で、自分が固く信じてきたものが脆くも崩れ落ち、自分を守るために、尊敬し、愛してさえいたボウイ演じるイギリス人将校を、残酷な方法で殺してしまった、坂本演じる日本軍将校。
朝日、ってこんな感じがします。
なんかね、思想の塊。
そうじゃなかったら、ふやけきったこれ⬇︎
になる。感じがします。
日本って、全体的にこんな感じがします。もう『これが日本』の個性なので、どうしようもないというか、このままでいいのかもしれないですけれど。
海外経験の豊富な人材がいる朝日でも、こうだもんね。
今朝、TVを軽くザッピングしましたが、どこも、『壁を越えてこちらに入り込む』攻撃的なエネルーはないようでしたが、全体的に
こんな感じでした。
自分の中に基準がないので、指示待ち。している感じ。
日本がそういう教育だし、大人の社会もそうだから、もう永遠にこのままかも。
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